笑ってくれた。
微笑んでくれた。
それがとても嬉しくて、彼女の微笑がとても穏やかで
そんな表情をしてくれるなんて思っていなかったから、暫く何も言う事が出来なかったんだ。
親愛なる少年と少女へ 10 〜 世界の前に照らすのだから 〜
2人は何も話さずに芝生に腰掛ける。
ちらりとクロードに視線を向けると、彼は何も言わずに湖を見ていた。
それに習い、レオナも再び湖に視線を移す。
ここは自分が住んでいる土地のはずなのに、自分はここの事を何も知らない・・・・
興味がないと思っていたはずなのに、それが酷く恥ずかしく思えた。
こんな気持ちになるなんて、初めてだ・・・・。
どうしてしまったのだろう・・・・・
「気に入った?」
穏やかなクロードの声に彼の方を向く。
微笑んで首を傾げている彼に、レオナはゆっくり頷いた。
「よかった」
そう言ってまた、彼は笑う。
「ごめん・・・・あんな、乱暴なことして・・・・・もっと他にいろいろ方法があったはずなのにね・・・・」
「今さらだわ」
申し訳なさそうな声に、レオナは淡々と返す。
そう、今さらだ。
あんな人攫いのような真似をした後に謝られても、いまいち説得力がない。
「ごめん・・・・」
さらにしぼんでしまったクロードの声に、レオナの心がざわついた。
・・・・・言い過ぎてしまった?
そう思い、レオナは早口で言う。
「で、でも私は、この位しないと外には出なかったと思うわ」
その言葉にクロードは軽く目を見開く。
その後、まだ表情は申し訳なさそうだったが小さな声で言った。
「ありがとう・・・・」
「レオナ嬢は・・・・・外が怖いんだよね・・・・・」
クロードの穏やかな問いかけにレオナは一瞬肩を震わせた。
しかし、すぐにクロードの方を向いて小さな声で言う。
「・・・・・怖いわ」
視線がぶつかった。
暫く、沈黙が流れる。
その沈黙がレオナにとっては何時間もの長さのように感じる。
彼はどう思っているのだろう
おかしな子だ・・・・そう思うのだろうか
そう思われるのは・・・・・嫌
あれ、そうして私はこんなことを思っているのだろう
自分がどう思われようと、どうでもいいことなのに・・・・・
しかし、ワンピースの裾を掴む自分の手が震えていたことを、レオナは感じていた。
それが、彼女の戸惑いを更に増す。
「レオナ嬢は・・・・セヴァが嫌いかい?」
予想もしなかった言葉にレオナは眉を寄せた。
セヴァ・・・とは何だろうか・・・・
「セヴァ・・・・?」
レオナの表情からクロードは、ああ・・・と頷き
「出ておいで、セヴァ」
「キキュ!」
出てきたのはウサギによく似た白い魔物。
その姿を、レオナはよく知っていた。
自分に暖かさを教えてくれた、大切な・・・・・
「貴方、セヴァっていうのね・・・」
そう言えば、この少年がそう呼んでいたような気がする・・・とぼんやり思う。
「セヴァには、僕が書いた手紙を君に届けてもらうだけのはずだったんだ」
その後は、すぐに戻ってきてもらう予定だったとクロードは続ける。
クロードの言葉にレオナは目を丸くする。
「でも、この子は・・・・・貴方のところに戻ろうとはしなかったわ・・・・」
この魔物は、彼の所に戻ろうとせずに自分の傍にいた。
てっきりこの少年の事を嫌っているものだと思っていたが、どうやら違うようなのだ。
では、なぜ・・・?
「そう、いくら呼んでもこいつは・・・・君の所を離れようとしなかった」
迷惑になると思って、反強制的に連れ戻したんだけどねとクロードは困ったように笑う。
先程の、彼と魔物のやりとりはそういうことか・・・・。
レオナはそう思い、納得した。
でも、どうしてこの魔物は自分の所に・・・・?
怪訝そうな顔をしてそう思っているとクロードの目が細められる。
「余程・・・・・君のことが好きなんだね」
クロードの言葉に、思わず目を見開く。
好き・・・・・?
私を?
「・・・・・好き?」
「うん」
ね?とクロードは肩に乗っている魔物、セヴァに問いかける。
セヴァはまるで返事をするかのように鳴いた。
「キキュッ!」
「嘘よ・・・・・・」
ありえないと言うようにレオナは呟いた。
だって、自分は・・・・・
外の世界に嫌われているのだ。
嫌悪な視線を向けられる存在なのだ。
世界から憎まれて、触れることは許されない。
そんな私が・・・・・・
「こう見えて、こいつはとっても人見知りなんだ」
「・・・・・・」
「そんな彼が、傍を離れないなんて僕自身もびっくりだよ」
「・・・・・・・・」
「君の傍が、安心できたんだね・・・・・」
そう言ってクロードは、白い魔物をレオナに渡す。
しかしレオナが俯いたまま受け取ろうとしなかったので、彼女の肩にそっと魔物を乗せた。
魔物は俯いたままのレオナに心配そうな視線を向けていたが、やがてペロペロと頬を舐める。
暫く舐めると、今度は頬に力いっぱい擦り寄ってきた。
暖かい。
こんなに暖かいだなんて、私は知らなかった。
世界は、私を傷つける・・・・・・
そう思っていたのに
思っていたのに
どうしてこんなに胸が痛いの?
このぬくもりが、どうして心に沁みるの・・・・・?
痛い
苦しい
だけど、同時に心地よいのはどうして?
「・・・・・・・っ」
その暖かさに、レオナは手を握りしめた。
その手が小刻みに震える。
息ができない。
苦しい。
私は、どうすればいいのだろう
もしかして世界は・・・・・・
世界は私が思っているよりも世界は・・・・・・
「暖かいよ」
穏やかな声がして、レオナは顔を上げる。
泣きそうな表情のレオナにクロードは優しく言った。
「世界は・・・・・君が思っている通り、残酷なのかもしれない、冷たいものかもしれない・・・・・だけど、
それと同じ位、小さな暖かさがたくさんあると思うんだ・・・・」
超能力者に対する嫌悪の視線、数々の暴言、仕打ち、確かにそれは存在する。
世界が暖かくて安心できるものだと、言い切ることは出来ない。
だけどそれは、超能力者以外の、能力をもたない人々にとっても同じことだ。
冷たいもの、心痛むもの、確かに世界には存在するけれどそれと同時に、暖かいものも必ずある。
大きなものではないけれど、それは確かな暖かさで、確かな灯火で、確かな希望だ。
そして人はそれを求める為に、掴む為に生きている。
少なくとも自分はそう思う。
自分に対する仕打ち・・・・・確かにそれはとても心痛むものだったけれど、自分に向けてくれた暖かな笑顔も
確かに存在したから。
「僕でよければ・・・・・・手伝うよ。一緒に、探そう?」
僕らはあまりにも世界を知らない。
たったまだ、十数年しかここに存在してない。
決め付けてしまうのは、あまりにも早い。
世界から目を逸らすには、まだ余りにも早すぎる。
だから・・・・・
ゆっくりと、一歩一歩。
小さな喜びを見つけよう。
手を繋いだ温もりを伝えよう。
日の光の暖かさを、緑の美しさを、風の優しさを、町の人々の温もりを・・・・・
今すぐに、たくさん進むことは無理かもしれないけれど一歩一歩、ゆっくりと。
クロードの言葉に、レオナは目から涙が溢れるのを感じた。
今まで心が求めていたものが、胸に染み入るようで不思議な暖かさが彼女を満たす。
私は・・・・・この世界にいてもいいのだろうか。
”外”が嫌いだった。
怖かった。
自分には必要ないものだと思っていた。
だけど、心のどこかで欲していた。
”外”に存在してもいいと、誰かに言ってほしかった。
自分を・・・・・世界に存在させてほしかった。
そっと、クロードはレオナの手を握る。
握った部分から、体温を感じる。
暖かさを感じる。
「僕じゃ・・・・・頼りないかな・・・・?」
そう言って苦笑したクロードに、レオナは小さく横に首を振る。
何度も、何度も。
瞳からは絶えず涙が零れた。
それを拭おうともせずに、レオナはクロードを見つめる。
「・・・・・・りがと・・・・・」
”ありがとう”そう伝えたかった言葉は、喉に引っかかって声にならなかった。
白い魔物が、レオナの肩で小さく鳴いた。
「あの・・・・・もうすぐ、私・・・・・誕生日なの」
暫く経って落ち着いたのか、レオナは呟くように言う。
クロードはその言葉に、そう・・・・と呟いた。
彼は、レオナの誕生日パーティに招待されている。
彼こそが、一番大切な招待客だ。
クロード・ツイン。
レオナ・スタルウッドの許婚。
しかし、クロードはそのことを言わなかった。
今言うのはあまりにも早いと思ったから。
「その時に、たくさんの人を招いてパーティをするって・・・・・お父様が・・・・」
そこまで言って、俯く。
皆まで言わずとも、クロードは彼女が何を言いたいのか理解できた。
ようやく”外”に触れようとしている少女。
まだ不安なのだ。
怖いのだ。
急に怖くなくなるなんて、不安じゃなくなるなんて、そんなことなどありえない。
これからゆっくり触れていくにしても、やはり時間はかかるのだ。
「・・・・・・・そうだよね」
「え・・・?」
「不安だってこと」
「・・・・・・・」
再び俯いてしまったレオナにクロードは手を差し伸べる。
「君は、レオナ・スタルウッドだ」
「・・・・・・?」
「家族から愛されて、世界から祝福を受けて、この世に生を受けた」
「・・・・・・」
「名前は、世界と家族から最初に贈られる贈り物なんだ」
全てのものは、世界から祝福されて生を受ける。
そう、クロードは教えられた。
そして名前は、相手を愛し、大切に思う証だ。
それは人も魔物も、自然も同じ。
だから、クロードの使う召喚能力には名前が必要不可欠となる。
契約した魔物に愛情持って名前を付けることによって、相手との信頼をより強固なものにする。
元々備わっている召喚能力も、相手との絆がないと全く役に立たないのだ。
自分の家系の中で、契約した魔物によって命を失った者をクロードは何人も知っている。
自然能力よりも、もっと危険で、もっと繊細な能力なのだ。
「ゆっくり、進もう?」
クロードの言葉にレオナはそっと、自分の手を彼の掌に重ねた。
先程召喚した魔物に乗りながら、クロードは前に座るレオナに尋ねる。
「もう帰る・・・?」
この言葉にレオナは暫く考えたように黙り込むと、クロードの方を振り返り小さな声で言った。
「・・・・・・町に、行ってみたい・・・・・」
町の外れで魔物から下りるとクロードはレオナの手を引いて歩き始めた。
途中で靴を買ってレオナに履かせる。
裸足のままでは危ないから・・・・・。
レオナはずっと下を向いたまま歩いている。
その様子を見ると、クロードはくすりと笑ってレオナに言った。
「レオナ嬢、前を向いて」
その言葉にレオナはクロードの方を見上げる。
不安と微かな恐怖が瞳には映っていた。
「君は、何も悪いことをしていないんだから。しっかり前を向いて?自分の存在に自信をもつんだ」
レオナは一瞬躊躇したが、暫くしてゆっくり顔を上げる。
繋いでいた手を、しっかりと握りしめる。
そして、クロードの方を見て小さく微笑んだ。
「・・・・・・って言っても僕はここの町は初めてだから何も知らないんだけど・・・・・」
「私もよく知らないわ・・・・・」
土地勘のない者が2人。
一人は町にほとんど出たことがなく、もう一人はこの町に初めて着く。
これからどうしよう・・・・その思いは同じだったのか2人は同時に顔を見合わせた。
お互いのポカンとした表情を見て、思わず噴出す。
「まあ・・・一件づつお店を見ていくのも楽しいしね」
行こう、そう行ってレオナに笑いかける。
レオナはその言葉に、コクンと頷いた。
怖かったはずの”外”の世界が、この手を握りしめていると怖くない。
トクン、トクンとレオナの心臓が高鳴った。
繋いだ部分から暖かさを感じる。
安心する。
・・・・・・・怖くない・・・・・
角に位置する小さな雑貨店。
レオナはその前で足を止めた。
他の店に比べたら、大きな看板もなく思わず素通りしてしまいそうな店だ。
しかし、アンティーク調の洒落たデザインがレオナの目を引いた。
クロードはそれに気がつき、歩をその店の中に進める。
カランと音を立てて、2人は店内に入った。
「いらっしゃい」
店の中には椅子に座った老婆以外に誰も人はいなかった。
椅子に座って本を読んでいた老婆は、2人を見て目を細める。
「これはまあ・・・・可愛らしいお客さんだねえ」
そう言って、レオナにゆっくり近づく。
レオナは無意識にクロードの手をしっかりと握りしめた。
「おや・・・・もしかして、スタルウッド家のお嬢さんじゃないかい?」
老婆の言葉にレオナは目を見開く。
どうして自分の事を知っているのだろう?
「お父様が、うちの店によくいらしてくれるんだよ。うちの装飾品をとても気に入ってくれてねえ」
そう言って、ゆっくりと視線を棚に移した。
そこには細かな細工の装飾品が並んでいる。
繊細で優しい作りのそれは、一つ一つ手が込んである職人技の物だ。
よく父親は、こんな穴場のような店を知っていたものだ。
「お父様が貴方のことをよく話されてね、写真も見せてもらった・・・・」
そう言って、目を細める。
「写真よりもとても可愛らしい・・・・・お父様が自慢する訳だ」
そう言って、老婆はうんうんと頷いた。
そして、ちょっと待っておいでと言って奥に下がってしまった。
「クロード・・・・あの人・・・・」
「能力者ではないようだよ?」
クロードの答えにレオナも小さく頷く。
彼女からは能力者特有の気を感じない。
しっかりと分かるわけではないが、能力者からは自分と同じような感覚を僅かながら感じるのだ。
それを感じないということは、あの老婆は能力者ではない・・・・・
老婆が向けてくれた暖かな視線を思い出しながら、レオナは老婆がいるであろうドアの向こうを見つめた。
「待たせてすまないねえ・・・・さっきクッキーを焼いたんだよ。よかったらどうぞ」
しばらくして戻ってきた老婆の手には真っ白な皿があり、その上には丸いクッキーが乗っていた。
優しい香りがレオナの所にまで届く。
老婆はまず、クロードに1枚クッキーを手渡した。
ありがとうございます、と礼を言うとクッキーを口に運ぶ。
「おいしい・・・・」
そう言ったのが聞こえる。
老婆はレオナの方を向いて、クッキーを手渡す。
優しそうな笑顔。
目を細めてレオナを見つめている。
これは・・・・自分に向けてくれたものだろうか・・・・・・
レオナは目の前の老婆を暫く見つめていた。
恐る恐る、手を伸ばしてクッキーを受け取る。
そして、ゆっくりと口に運んだ。
しっかりと噛み締めて、飲み込む。
優しい味が、口いっぱいに広がった。
「・・・・・・おいしい・・・・」
とっても優しくて・・・・・
目の前で自分を見つめてくれるこの人の眼差しがとても暖かくて・・・・
『世界は・・・・・君が思っている通り、残酷なのかもしれない、冷たいものかもしれない・・・・・だけど、
それと同じ位、小さな暖かさがたくさんあると思うんだ・・・・』
クロードの言葉が頭に蘇る。
レオナの目から、涙が一粒落ちた。
それをきっかけにして、次々に涙が零れ落ちる。
「おやおや・・・どうしたんだい?大丈夫かい?」
突然レオナが泣き出したので老婆は慌ててハンカチでレオナの涙を拭う。
その仕草が優しくて、胸が苦しくなって、またレオナは泣き出した。
日が沈んだ頃、2人を乗せた魔物はスタルウッド邸に到着した。
庭の芝生にそっと降りるとレオナはクロードを見つめる。
不思議な少年だ。
暖かくて、優しくて、でもちょっと強引で・・・・・・
だけど、笑顔が素敵な人。
繋いだ手は暖かくて、私に教えてくれた。
この世界の・・・・美しさ。
そう思うと、レオナの心臓は再びトクンと波打つ。
「じゃあ、帰ろう?僕も・・・・勝手に君を連れ出したこと・・・・君のお父上に謝らないと」
愛娘がいなくなって、さぞやスタルウッド氏は慌てたのではないだろうか。
しかし、時間的に自分の父と外に出かける時間でもあったような気もする。
出来れば後者がいいなあとクロードは苦笑した。
「ありがとう」
クロードの服の裾を軽く引っ張ってレオナが呟く。
「え?」
「・・・・・・・ありがとう、外に連れ出してくれて」
お礼を言われるとは思っていなかったので、クロードは目を見開く。
「ありがとう・・・・・・」
なおもお礼をいう彼女にクロードは目を細め、そっとレオナの手を取る。
「お礼を言っていただけるなんて嬉しいです、レオナ嬢」
そう言って、軽く手の甲に口付ける。
貴族の挨拶とは知っていたが、レオナはそれに頬を真っ赤に染める。
心臓がドクンドクンとうるさく鳴った。
「レオナでいい・・・・・・・」
「え?」
「レオナでいい・・・・・・・私も、クロードって呼んでるし・・・・・」
顔を真っ赤にして言うレオナに、クロードは頬を染めて彼女を見る。
暫くの沈黙が流れたが、クロードは嬉しそうに笑って頷いた。
「うん、レオナ・・・・・・」
これほど幸せなことはなかった。
とても暖かくて、幸せな時間だったんだ。
だけど、僕達はまだ知らない・・・・・・
この幸せな時間が、続かないこと。
儚く散ってしまうこと・・・・・・・・。
それは・・・・・・・運命の9月22日━━━━・・・・
BUCK/TOP/NEXT
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(ずっとこの暖かい時間が過ぎていくと、誰もがそう思っていた・・・・・)
2006/12/17