Eden


始まりの予感   3




そこは大きな広間だった。
中央にやや大きめの水鏡がおいてあり、一人の女性がそれを覗き込んでいる。
女性の髪は色素の薄い赤毛で、腰の下まで伸びている。
大きく見開かれた瞳はこげ茶色で、現在は水鏡に釘付けになっていた。



ふと、水鏡に波紋が出来る。
女性は眉を寄せ、水鏡に手を伸ばし目を閉じるとこう呟く。
「神より贈られた真実の扉、今その姿ここに示せ」
透き通ったアルトボイスが響くと、水鏡の波紋が大きくなる。
そして、そこに映ったものを見て、彼女の顔色が変わった。



なぜ・・・ここに・・・・・



なぜ、これが・・・ここにいるはずがないのに・・・!
一体何が狂ったというのか・・・
それとも、何か別の力が働いてこうなったというのか・・・!!



女性は唇を強く噛むと、声を上げた。
現在は夜中だが、ここの扉の外には警備の兵士がいるはずだ。
外見の柔らかな印象とは異なった、強い声が響く。



「だれか!急いで、ここに王宮騎士団隊長のスバル・エリクトル、副隊長のリア・セイクレイド・・・・
そして・・・・」
そこまで言って彼女は言葉を切った。
しかし、すぐに言葉を続ける。
「ルナ・M・ランネスレッドを!、この3人を呼んできてください!!」
彼女の言葉に、中に入ってきた兵士は困惑した表情を見せた。
彼女がこれほど焦っている表情を、彼は始めて見る。
しかし、
「早く!緊急事態です!」
彼女のその言葉に慌てて踵を返し、外に出て行った。









薄暗い廊下をスバルとリアは進んでいた。
胸騒ぎはだんだん大きくなる。
一体何が起こっているんだ・・・?
リアは胸元を押さえると呟く。
その声を聞いたスバルは、リアの肩をぽんっと叩いた。
「大丈夫だ。何もない・・・きっと。それに、いざという時は俺らがいるだろ?俺らは騎士団の隊長と副隊長だ。」
「うん・・・そうだね」
「そんな暗い顔するなよ!俺とお前のタッグ、無敵だってこと忘れるなよ?」
そう言ってにっと笑うスバルにリアは微かに微笑んでそうだね・・・と呟いた。
しかし、そこではっとした表情になる。
「どした?」
「スバル・・・・僕、弓矢忘れてきたみたいだ・・・・」
いつも彼が使っている弓矢。
それを忘れてきてしまった。
代わりに持ってきたのは細身の剣。
ああ・・・自分は何をやっているんだろう



「お前の剣の腕はなかなかのもんだ。大丈夫だよ!行くぞ!」
リアは自分ほどではないが、剣の才能もなかなかのものだ。
余程の相手でない限り、彼がやられることはないはずだ。
それに、自分もいる・・・・。
自分の剣の腕を過信しているわけではないが、スバルはそう思った。



廊下を進み、別れ道にさしかかる。
右に進めばスピカの部屋だ。
さっきから感じる、そして強くなるこの焦燥感、そして不安感・・・・
まるで彼女がどこか遠くに行ってしまうんじゃないかと思った、あの感覚。
嫌だ。
失いたくない・・・・彼女は大切な人なんだ・・・・
誰よりも、大切で・・・いつも笑っていてほしい人なんだ・・・・
だからどうか・・・消えないで・・・
「スバル、姫の部屋に行こう」
「え?」
突然のリアの言葉にスバルは思わず声を上げる。
「嫌な予感がする・・・強くなるんだ・・・」
「それは勘か?」
「ああ・・・だけど確信がある・・・」
その言葉にスバルは頷く。
リアが言うのだ。
間違いない・・・・



「ああ・・・でもどっちの姫だ?」
「え?」
「この城に、姫は2人いるぜ?あいつと、第一王女のミモザ様だ」
「・・・・」
にやにやと意地悪そうに笑うスバルをリアは睨みつける。
今はそんな事いってる場合じゃないのに・・・・
「名前で呼ばないと、俺は分からないんだがな?」
「スバル・・・」
「おら、早く」
「・・・・・」
「あ、そうか!ミモザ様の部屋だな。じゃあそこ左に曲がって・・・・・」
そう言って左に曲がろうとしたスバルの腕をリアは掴む。
にやりと笑うスバルにため息をついて、リアは言った。
「・・・・・スピカ姫の所だよ」











暗闇は続く。
スピカは前も後ろも分からない空間を歩き続けていた。
どの位時間が立ったかも分からない。
・・・・そもそも歩いているのかすら分からないが。
スピカは、足を止め、そこにしゃがみこんだ。
いくら歩いてもどこにも辿り着けない・・・。
強気を保ってきた姿勢だが・・・ここまで闇に囲まれるとどうしても弱気になってしまう。
真っ暗な、何もない空間が自分を包み込む。
嫌な考えが次々に浮かんでしまう。
もしかして、自分はここから出ることが出来ないのでは・・・?
ずっと一生、ここで暮らさなければいけないのか・・・?
もう、誰にも会えなくて、自分の存在も皆に忘れられて・・・消えてしまうのでは?
「ここ・・・どこ・・・・」
私、どうしてここにいるの・・・?
頬を涙が伝う。
泣いてはいけない・・・泣いてはいけないのに・・・・
しっかりしなくていけないのに・・・・
泣いても何も解決にならないと、知っているのに・・・
頬に次々を涙が伝う。
止まらない・・・
皆のいるあの暖かい空間に戻りたい。
ここは・・・・
「ここは・・・怖い・・・」












「姫、遅くにすみません・・・・」
リアはスピカの部屋の扉を軽くノックする。
しかし、返事はない。
こんな時間だ。
眠っていて起きないだけなのかもしれない・・・。
そう思い込み、再びドアをノックする。
「姫、いらっしゃいますか?」
「おいスピカ、起きろ!」
スバルも強い調子でノックする。
しかし、扉が開かれる様子はみられない。
リアの中で不安が大きくなった。
嫌だ・・・・消えないで・・・



「姫、失礼します」
「おい、リア!」
スバルの声を無視し、リアは部屋の扉を開ける。
鍵がかかっているかと思ったが、鍵はかかっていなく、扉は開いた。
「無用心だな・・・・」
スバルが呟く。



スピカはベッドに横になっていた。
離れた所からでもそれが分かり、リアはほっと息をつく。
自分の思い過ごしだったのだ。
よかった・・・・
そして、スピカの方に近づいた。
そこで息を呑む。
「おいリア・・・これって・・・・」
隣に立つスバルも、横になっているスピカを見て、言葉を失った。
彼女の姿は、うっすらと透けていた。
彼女の髪に触れてみると、その感触はある・・・しかし、姿が半分透けていたのだ。
彼女が消えてしまうようで・・・・・
そんな感覚が、不安があった。
しかし・・・まさか本当にこんな・・・・








こんな時、スバルならどうするのだろう・・・・
スピカはしゃがみこんだまま、ふと考えた。
きっと、スバルならこんな暗闇には負けないのだろう。
彼は明るいから・・・。
性格が明るいという意味ではなくて、体全体から光を放っているような人間。
彼なら、この暗闇を照らすのだろうか・・・・
そこまで考えて、スピカは頭を振った。
まるで・・・自分がスバルに頼りきっているみたいだ・・・・
ルナはどうなのだろうか。
会って間もない少女。
しかし、彼女とは会った瞬間打ち解けた。
こんなこと、今までなかった・・・。
大切だと、そう思った。
彼女も眩しい・・・・。
スバルと少し似てるかもしれない・・・そう思う。
日溜りのように・・・明るくて優しい・・・。
ねぇ・・ルナならこんな時どうする・・・?







「どうなってるんだ・・・?」
「分からない・・・・」
スバルの声に、リアは呆然と呟く。
しかし、確かに目の前の少女は消えかかっているのだ。
人が消える・・・こんなことが起こるのだろうか・・・・
スバルは信じられないような表情で少女を見つめる。
「リア、俺、賢者様を呼んでくる・・・俺らだけじlゃどうしたらいいのか分からねぇ・・・」
「分かった・・・僕はここにいるから・・。急いで、スバル」
「おう」
そう言うとスバルは踵を返して走り出す。
リアはスピカの方を見ると、銀色の緩やかな髪に触れた。
「・・・・スピカ・・・・戻ってきて・・・・」
消えないで・・・お願いだから・・・
傍にいてほしい・・笑ってほしい・・・
「スピカ・・・」













「リア・・・貴方なら、こんなときどうする・・?」
暗闇にスピカの声が響いては消える。
初めて彼と出会ったのはいつだっただろう・・・・
彼の優しい笑顔が大好きで、その笑顔を見るたびに心が暖かくなるのを感じた。
スバルが、眩しいくらいの日の光なら、リアは優しい灯火。
決して強くはないけれど、ずっと続く暖かさと優しさ・・・・。
「会いたい・・・・」
あの笑顔は・・・消えてしまった。
いつからだったか、彼の笑顔はあの頃のものと変わってしまって、穏やかで優しい笑顔だけど
どこか悲しそう・・・・。
自分との距離を感じたのもその頃。
敬語で話しかけ、そして自分のことを「姫」と呼ぶ。
それでも私は、彼が好きなのだ。
そんなに悲しそうな顔をしないで・・・私、力になるから・・。
だから・・また笑って・・
あの、見るだけで幸せになる暖かな笑顔で。
彼の都合も知らず、、むしのいい話だ・・・。
それは分かっている・・・しかし、また笑ってほしいのだ。
願いはこれだけ。
「会いたい・・・リア・・・・会いたいよ・・・」
会いたくて会いたくてたまらない。
頬を再び涙が伝う。
募るこの気持ちを今だけ言葉に出そう・・・
「・・・・私、貴方が好きです・・・」












「・・・・スピカ!?」
リアは傍にしゃがみこみ、スピカの手を取る。
自分の名前を呼ばれた気がしたから・・・。
「スピカ!」
大きな声で、呼びかける。
彼女の名前は呼ばないと誓ったはずなのに・・・
しかし、今の彼にはどうでもよかった。
どうか、戻ってきて・・・・
この声に答えて・・・!
「スピカ!」
消えては駄目だ。
君の傍には、君のことが好きな人間がたくさんいるのだから・・・・。
兄である国王陛下、姉である第一王女のミモザ様、スバル、ルナ、城の者達・・・・
そして・・・・
リアの、手を握る力が強くなる。
「僕も、君が好きだ・・・・・」
大切な存在。
手放したくない、奪われたくない・・・・
僕が、こんな願いを持つのは間違っている・・・
だけど、だけどお願いだ・・。
「スピカ・・・お願いだ・・・戻ってきて・・・」










「リア・・?」
名前を呼ばれたように感じ、スピカは立ち上がる。
『スピカ!』
「リア!」
確かに聞こえる・・・・彼の声だ。
聞きたいと願っていた、あの声だ。
自分を幸せな気持ちにしてくれる・・・彼の声。
声の聞こえる方向に歩き出す。
呼んでる・・・・彼が、自分を呼んでいるのだ・・・
「名前・・・呼んでくれてるの・・・?」
思わずまた、涙が溢れる。
名前を呼んでくれたのは、何年ぶりだろう・・・
スピカは歩いていた足を早め、夢中で駆け出した。
あれほど体にまとわりついていた恐怖が、少しずつ剥がれ落ちていくのが分かる。
そして感じる。
うっすらと、周囲が明るくなる。
ああ・・・この暖かい感じは・・懐かしい・・・
そう以前から知っていた、この暖かさは・・・・



光だ・・・・





「スピカ!」
重い瞼を開けると、そこにはリアの顔があった。
「・・・・リア・・・・?」
小さく呟くと、彼は、はっと驚いた表情を浮かべる。
今にも泣きそうな表情・・・。
貴方はそんな顔をして私を呼んでくれていたの?
「ありがとう・・呼んでくれて」
ありがとう、ここまで連れてきてくれて・・・・
ありがとう・・・私の名前、呼んでくれて・・・・
その言葉にリアは顔を歪め、そして、微笑んだ。
「・・・・おかえり・・・」
そして、繋いでいた手をきつく握りしめる。
暖かさを感じる・・・
ここにいるのが分かる・・・






戻ってきてくれて、ありがとう・・・・
連れ戻してきてくれて、ありがとう・・・・











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2006/05/19