Eden


月と星の名   1




「わー!大きな市場!さすがはフェルノーム国ね!」



軽やかな声が馬車の中から響く。
現在馬車は市場の真ん中を走っていた。
声の主の少女はキラキラした表情で馬車の外の風景を見ていた。
風に揺れる髪は、ややくすんだ桃色。
大きな瞳は赤で今は更に見開いている。
少女は少しでも外の空気に触れたくて、馬車の窓を開けて手を伸ばす。
それを見ると、隣に座っている中年の男性は少女に注意した。



「危ないですよ、ルナ。」
「ぶー!何よケチ。いいじゃない、ちょっとくらい。」
「ぶーじゃありません・・・。怪我でもしたら大変ですよ。」
「どうして馬車の窓から手を出したら怪我するのよ・・・子供じゃないんだから・・。」



ルナと呼ばれた少女は苦笑して隣の男性を一瞥した。
そしてまた、視線を窓の外に移す。



「外に出たいなー・・・」
「いけません」
ルナと男性の声が見事に重なる。
予想通りの答えに溜息も出ない。
恨めしそうに睨むと、男性はルナとは反対の方向に視線を移した。



しかし、こんな素敵な風景をただ馬車の窓から見るだけなんてつまらない。
ただ馬車に乗って目的地に行くだけなんて、そんな酷いことはない。
ルナの住んでいる国は海に面した国だから、市場に並ぶのは主に魚介類。
新鮮な魚や貝が市場に並ぶ。
この新鮮さは海に面した国だからこそ。
もちろん野菜や果物も並んではいるけど、ここはルナの住んでいる国とは違う。
色とりどりの花、果物・・・・・
おそらく花はこの地方で咲いている花だろう。
自分の国では見ない花もいくつかある。果物もそうだ。
自分の国のように、他の国から仕入れているものとは違うものもある。
明らかに、もぎたてのみずみずしさ漂う沢山の果物・・・。



フェルノーム国は海に面してはいないが、その分果物や花の栽培で有名だ。
ルナの国にもフェルノーム国から仕入れた果物などが入ってくる。
しかし、全て入ってくるわけではないから、珍しいものもたくさんだ。



「やっぱり駄目・・・こんな素敵な市場を素通りするなんて、考えられないわ。」
「何か、言われましたか?」
「ううん、別に。」
男性の言葉に適当に返事をして、ルナはぶつぶつと考える。
彼はなかなか察しがいい。
それは小さい頃からルナはこの男性と一緒にいるから当然のことと言えばそれまでだが、
彼はルナの行動パターンをよく理解しているのだ。



しかし、ここで諦めたらいけない。
目的地まで行ったら、暫くはゆっくり出来ないかもしれないのだ。
それに、久々の外の空気。
堪能しておかなければ、罰が当たる。
ルナは意を決して、行動を起こした。



果物を売っている店の前を馬車が通った時、ルナは窓から手を伸ばして売り物の林檎を1つ手に取った。
隣の男性はルナの行動に気がついていない。
店の主は客の接待で気がついていない。
これは犯罪。
もちろん、売り物に勝手に手を出していい訳がない。
そしてルナも、もちろんここで終わらせるつもりはない。



「ねー、ジャックリード。」
「どうしたのですか、ルナ。」
「私、お腹すいちゃってね」
「はい。」
「林檎が食べたいんだけどね」
「はい」
「この林檎のお金、払ってきてくれないかな?」
「・・・・はい?」



少女の言葉に男性、ジャックリードは間の抜けた声を上げる。
少女に視線を移すと、手には真っ赤な林檎が握られていた。



「かかか・・・勝手に取ったんですか!?」
「うん。」
「うん、じゃありません!!どうしてこんな!!林檎が買いたかったらどうして言ってくれないのですか!?
馬車を降りて買えばいいじゃないですか!」
「だって、外に出てはいけませんって言ったじゃない・・・。」
「勝手に取るくらいなら、馬車を止めて私が買ってきますよ!」



ジャックリードの慌てように、ルナは内心手を合わせる。
ごめんね、こんな事はしたくないんだけどさ・・・
だけど、普通に林檎が食べたいから馬車から降りるなんて言っても
もうすぐ目的地だから我慢しなさいと言うだろう。
だからルナはこの手を使った。
そして、彼はルナの予想通りの行動に出るのだ。



「あそこの店ですね、降りてお金を払ってきましょう。」
「・・・ごめんね、ジャックリード。今度からはちゃんと言うから。」
申し訳なさそうに詫びるルナに、ジャックリードは微笑む。
「ルナの行動には慣れっこですから。」



そして、ジャックリードは馬車の戸を開けて降りようとする。
馬車から降りて戸を閉めようとすると、その手を押さえて、ルナも一緒に馬車から降りた。
そして駆け出そうとする。



がしっ!



しかし、ルナの手をジャックリードが掴んだ。
彼の表情を見ると、にこにこと笑っている・・・・が目は笑っていない。



「どこに行かれるんですか?ルナ。」
「ち、ちょっと外に出たいなぁって・・・・」
「ははぁ、これはその為の作戦ですか。いけませんよ。馬車に戻ってください。」
「少しだけ!ね!1時間でいいから!!」
「いけません。」
にこにこ笑顔に対して、手を掴む力は強い。
いっこうに引こうとしない様子にルナは焦って叫んだ。



「お願い!1時間!!」
「駄目です!」



このままではマズイ。
持久戦になれば彼より力の弱いルナが不利である。
とうとう彼女は空いてる方の手で空を指差した。



「ああーっ!!!国王陛下がペガサスに乗って微笑みながら手を振ってるーー!!!」
「なんですと!!?」
その言葉にジャックリードは思わず掴んでいた手を緩め、ルナが指差した方の空を思いっきり見上げた。
その隙にルナは手をほどき、駆け出す。



「何もいないじゃないですかルナ! って、ああっ!!!」
「ごめん!ジャックリード!!1時間したら自分でちゃんと目的地に行くからっ!!」



呆然としているジャックリードに手を合わせ、ルナは叫ぶと再び駆け出した。
その姿が小さくなると、ジャックリードは深く、それはもう空気がなくなるのではないかという位の
大きな溜息をつく。
一体、誰に似たのだろうか・・・・。



一方、ジャックリードから逃げ出せたルナは、内心すまないと思いつつ周囲の店をまわっていた。
だから、気がつかなかったのだ。
ルナは目の前を歩いている人物と思いっきりぶつかってしまった。
強くぶつかったので相手の方は後ろに倒れてしまったらしい。
ルナは慌てて相手に手を差し伸べた。



「ごめんなさい!・・・大丈夫?」
「ええ・・。私もフラフラ歩いてたから・・・ごめんなさい」



倒れた少女はルナの手に摑まり起き上がる。
自分と同じくらいの年齢の少女だ。



「本当にごめんね・・・」
少女がもう一度ルナに謝る。
銀色の髪が風にのって、ふわふわと揺れた。






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(出会いは突然に・・・・)



2006/4/5